べっぷ昭和園は現在の別府市南立石に30室の客室と庭園を設けた旅館をかまえ、昭和元年に創業しました。その後平成3年に現在の地、もとは金鉱山として栄えた場所であり白川卿の別荘跡地に移設しました。
当時の庭園はそのままに6千坪の敷地に戸建の離れを含む11棟の客室と金鉱脈から湧く良質な温泉により今も古くからのお客様に常宿としてご利用いただいております。

「金婚の記念旅行なんだけど、実は新婚旅行で昭和園に泊ったんです。懐かしくなってね。」
「娘がまだ小さい時に別府旅行で昭和園に泊ったんです。それから20年以上経って再び家族で別府に旅行しようと話になって。」・・・
ここ数年はお客様のこのようなお声を度々お聞きします。そのようにお話しされるお客様はとても楽しそうに当時を思い出し、若返っているようにも見えます。再び昭和園を宿としてご指名いただけていること、なにより再び別府温泉に来ていただいていることに幸せを感じます。

ご夫婦でのご旅行に、次は親子3世代の家族旅行に、またはご両親への旅のプレゼントに別府温泉はいかがでしょうか。そしてべっぷ昭和園をご指名頂き、旅のお手伝いをさせていただけると幸いでございます。



昔、この乙原一帯で金鉱脈が九州で初めて発見されました。
江戸時代は採掘が盛んに行われていましたが、掘り進む中湧きだした温泉が金の採掘を不可能にしました。
今もこの大地の下には豊かな金脈が静かに眠っているのです。
いつの頃からか湧きだした温泉は、幸運の湯・長寿の湯・若返りの湯としてもてはやされ「金の湯」物語が誕生しました。




神様、仏様、稲尾様。

稲尾和久氏は大分県別府市北浜出身の元プロ野球選手。
現役時代は“鉄腕”と呼ばれ「神様、仏様、稲尾様」という言葉まで残した偉大な選手でした。
稲尾氏はべっぷ昭和園を常宿としてこよなく愛し、晩年は故郷別府のために全力投球しました。
2007年、別府市実相寺にある別府市民球場に私財を無償で寄贈した「稲尾記念館」を開館。
全国から訪れるファンも後を絶たず、別府市民球場も「稲尾球場」と呼ばれ市民に親しまれています。
記念館開館の1ヶ月後に惜しくも帰らぬ人となってしまいますが、その貢献や功績、与えた感動や勇気はなくなることはありません。

べっぷ昭和園には青少年育成に願いを込め、第2第3の稲尾の誕生を夢見てしたためた記念碑が建立されています。生前、稲尾氏は“魂を磨け 力を尽くせ”と書かれたこの記念碑を前に「勝って喜んで球を撫でてくれるかな」「負けて悔し涙をこらえて撫でてくれるかな」と青年のように目を輝かせて語ってくれました。